リンドバーグの飛行機の機種は何?機体の特徴と大西洋横断を解説

草地の飛行場に駐機する、長い主翼と星形エンジンを備えたライアンNYP風の飛行機
※ 本記事はAIを活用して作成しています。内容は運営者が確認・編集のうえ公開しています。

こんにちは。ボクのヒコーキ 運営者の「ひろかず」です。

リンドバーグの飛行機と聞いて、名前は知っていても、どんな機体だったのかまでは思い浮かばないかもしれません。スピリット・オブ・セントルイス号という名前の由来や、ライアンNYPという機種名も気になりますよね。

調べ始めると、機体の大きさやエンジン、燃料の量、正面に窓がない理由、潜望鏡での前方確認など、独特な仕組みが次々に出てきます。さらに、大西洋横断には何時間かかったのか、何が世界初だったのか、飛行機は現在どこにあるのかも知りたいところです。

特に間違えやすいのは「世界初」の意味と、1931年にリンドバーグ夫妻が日本へ乗ってきた飛行機です。1927年の大西洋横断と来日では、使った機体が違います。ここを分けておくと、リンドバーグの飛行歴がずっと分かりやすくなりますよ。

ボクはこの機体を知るほど、海の上を長い時間一人で飛び続けたことの重みを感じます。この記事では、飛行機そのものの特徴からニューヨーク―パリ間の飛行、横断後の実機の行方まで、順番に見ていきます。

この記事を読んでわかること
  • 飛行機の名前とライアンNYPの特徴
  • 燃料タンクと正面に窓がない理由
  • 大西洋横断の経路と世界初の記録
  • 実機の展示場所と来日機との違い
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目次

リンドバーグの飛行機の名前と機体の特徴

チャールズ・リンドバーグが1927年の大西洋横断で操縦したのは、一人乗りの特別なプロペラ機です。長距離を無着陸で飛ぶという目的に合わせ、主翼の大きさから燃料タンクの位置まで考えられていました。まずは名前と機種を確認し、それぞれの形にどんな理由があったのか見てみましょう。

  • スピリット・オブ・セントルイス号の名前の由来
  • ライアンNYPはどんな飛行機か
  • 機体の大きさとエンジン
  • 長距離飛行を支えた燃料タンク
  • 正面に窓がない理由と前方の見方

スピリット・オブ・セントルイス号の名前の由来

リンドバーグがニューヨークからパリへ飛んだ機体の名前は、スピリット・オブ・セントルイス号です。英語ではSpirit of St. Louisと書きます。日本語で「セントルイスの精神」と訳されることもありますが、飛行機の名前としてはカタカナ表記で紹介されること一般的ですね。

セントルイスは米国ミズーリ州の都市です。リンドバーグは飛行郵便の仕事を通じてこの街と関わりを持ち、大西洋横断の計画ではセントルイスの支援者たちから協力を得ました。

飛行機を造るには資金が必要ですし、機体が完成した後も試験飛行、整備、気象の確認など、準備は山ほどあります。機体の名前には、そうした計画を支えた人々と街とのつながりが込められているのです。

ここで少し紛らわしいのが、名前と出発地の関係です。セントルイス号という名前でも、大西洋横断はセントルイスから出発していません。歴史的な飛行の出発地点は、ニューヨーク州ロングアイランドのルーズベルト飛行場。目的地はフランスのパリでした。「セントルイスからパリまで飛んだ」と覚えると、飛行経路を取り違えてしまいます。

もう一つ区別したいのは、機体の愛称と機種名です。スピリット・オブ・セントルイス号は、その飛行機に付けられた名前。一方、ライアンNYPは機種を示す呼び名です。

船に固有の名前と船の型があるように、飛行機にもこの二つの呼び方があります。写真の説明にRyan NYP Spirit of St. Louisと両方並んでいても、別々の飛行機を指しているわけではありません。

名前を一言で整理すると、機体の名前がスピリット・オブ・セントルイス号、機種名がライアンNYPです。セントルイスは支援者たちとの結び付きを示し、1927年の横断飛行の出発地はニューヨーク近郊でした。

リンドバーグは大西洋横断後、世界的な著名人になりました。そのため「リンドバーグの飛行機」という言い方で、彼が後年乗った別の機体まで一緒に語られることがあります。この記事で主に取り上げるのは、あくまで1927年の横断に使ったスピリット・オブ・セントルイス号です。

草地の飛行場に駐機する銀色の高翼単葉機を描いた、スピリット・オブ・セントルイス号のイメージ
ボクのヒコーキ・イメージ画像

ライアンNYPはどんな飛行機か

スピリット・オブ・セントルイス号の機種名は、ライアンNYP(Ryan NYP)です。NYPはニューヨークとパリを指し、目標だった飛行区間が名前に表れています。製作したのは米国サンディエゴのライアン社。基になったのは同社のライアンM-2という機体ですが、完成したNYPは長距離飛行のために大きく手を加えた特別な飛行機でした。

設計を担ったのは、ライアン社の主任技師ドナルド・ホールです。リンドバーグの要望を取り入れながら、燃料を積める場所、翼が生み出す揚力、機体全体の重さや釣り合いを考えました。

大西洋を無着陸で飛ぶには、普段の飛行に必要な燃料よりずっと多くを運ばなければなりません。その重さを支えるため、主翼の幅は基のM-2より約10フィート、メートル換算で約3.05m広げられました。

主翼を長くするだけで終わりではありません。燃料が増えれば、翼や胴体にかかる負担も変わります。ライアンNYPでは、機体構造にも変更が加えられました。見た目は昔ながらの小さなプロペラ機でも、中身はニューヨーク―パリ間を一度に飛ぶための設計です。

完成したのは、一人乗り、エンジン1基、高翼の単葉機でした。高翼は、主翼が胴体の上側に付いている配置。単葉機は、左右に一組の主翼を持つ飛行機です。翼が上下二段に重なる複葉機とは、横から見た形が違います。

1919年にアルコックとブラウンが初の無着陸大西洋横断に使った飛行機は複葉機だったので、「大西洋を渡った昔の飛行機」とひとまとめにはできません。

単葉機と複葉機の形の違いから確認したいあなたは、複葉機の特徴と単葉機との違いを解説した記事も参考になるかなと思います。翼が何枚あるかを見分けられると、当時の飛行機の写真もぐっと面白くなりますよ。

スピリット・オブ・セントルイス号の翼は木製で、胴体には鋼管構造が使われています。機体の表面は布で覆われ、銀色に仕上げられました。写真では全身が金属で造られたように見えるかもしれませんが、銀色の外観だけで材質を判断することはできません。現在のジェット旅客機とは、材料も構造もかなり異なる飛行機です。

格納庫内の銀色の高翼単葉機と、機首の星形エンジンや木製主翼の構造を描いたイメージ
ボクのヒコーキ・イメージ画像

大西洋横断を目指して製作が進められた機体は、1927年4月末に試験飛行の段階へ進みました。そして翌5月には実際の横断に挑んでいます。準備期間の短さにも驚きますが、飛行計画を急ぐ事情がある中で、機体を完成させて試験し、目的の飛行へ送り出した製作陣の仕事も、この記録の一部だとボクは感じます。

機体の大きさとエンジン

スピリット・オブ・セントルイス号の寸法は、翼幅約14.02m、全長約8.43m、全高約3.00mです。これはスミソニアン国立航空宇宙博物館の収蔵資料に示された数値をメートルで表したもの。数値を眺めるだけでも、胴体の長さに対して翼がかなり広いことが分かります。

空を飛ぶ機体には、重さを支える揚力が必要です。特に横断飛行の出発時には多くの燃料を積んでいたため、通常より重い状態で離陸しなければなりませんでした。広げられた主翼は、その燃料を載せて飛ぶ計画と結び付いています。

一方、飛行が進んで燃料が減れば機体は軽くなります。同じ一回の飛行でも、出発時と到着前では条件が違うんですね。

機首に搭載されたのは、ライトJ-5Cホワールウィンドという空冷星形エンジン1基です。

スミソニアンの機体資料では223馬力とされています。星形エンジンは、複数のシリンダーが中心の軸を囲むように配置されたエンジン。これが機首のプロペラを回し、飛行機を前へ進めます。ジェットエンジンで飛ぶ現在の長距離旅客機とは、動力の仕組みから違います。

項目スピリット・オブ・セントルイス号の概要
機種名ライアンNYP
座席操縦者1人用
主翼胴体の上側に付く高翼の単葉機
翼幅約14.02m
全長約8.43m
全高約3.00m
エンジンライトJ-5Cホワールウィンド1基
出力博物館の資料では223馬力

これらの機体情報は、所蔵先のスミソニアン国立航空宇宙博物館「Ryan NYP Spirit of St. Louis」でも確認できます。寸法をメートルへ換算した値や資料に示された概数は、一般的な目安として見てください。

「エンジンが一つで海を渡るのは怖くないのかな」と感じるかもしれません。はい、長い海上飛行で動力を失えば、陸上の飛行場へ向かうのは困難です。

一方で、エンジンや乗員を増やすと、その分だけ機体は重くなり、より多くの燃料も必要になります。リンドバーグは単発・一人乗りという形を選び、飛行機全体を無着陸飛行の目的に合わせたのです。

速度の数字を見る際も、少し注意が必要です。最大速度、燃料を節約しながら飛ぶ速度、横断した距離を33時間30分で割った平均速度は、同じものではありません。飛行中は風の影響も受けます。「リンドバーグの飛行機は時速何kmだったか」という問いには、どの速度を指しているかを確かめてから答えるのが正確です。

長距離飛行を支えた燃料タンク

ニューヨークからパリまで一度も降りずに飛ぶために、機体へ何を積むべきか。スピリット・オブ・セントルイス号では、その答えの中心が燃料でした。通常のライアンM-2を基にしながら燃料を収める場所を増やし、操縦席の前方にも大きなタンクを配置しています。

燃料を増やせば、飛び続けられる時間と距離に余裕を持たせることは可能です。ただし、燃料自体に重さがあるため、積めば積むほど離陸は難しくなります。

燃料を運ぶために翼を大きくし、重さに対応するために構造を見直す。さらに、その変更が機体の釣り合いや操縦席の配置にも影響する。一つのタンクを足すだけの簡単な話ではなかったということですね。

操縦席前方のタンクには、重さの配置という意味もありました。燃料は飛行中に使われて減っていくため、どこへ置いてもよいわけではありません。機体の重心から大きく離れた場所に大量の燃料を積むと、消費に伴って釣り合いが変わりやすくなります。

スピリット・オブ・セントルイス号では、操縦席を後方に、エンジンを前方に配置するなどして、燃料を積む場所と機体全体の釣り合いに対応しました。

燃料の量を調べると、425米ガロンと450米ガロンという二つの数字が見つかります。日本航空協会の解説では425米ガロンとされていますが、450米ガロンを示す資料もあります。設計上の容量なのか、追加分を含む量なのか、あるいは飛行時の搭載量なのか。数字が指すものを確かめずに比べると、混乱しやすいところです。

燃料量は、一つの数字で断定しないほうが正確です。表記では、425米ガロンと450米ガロンという異なる数値があります。どちらも「無着陸飛行のために大量の燃料を積めるようにした」という機体の特徴を理解する手掛かりですが、同じ条件で測った数値として扱わないようにしましょう。

米ガロンは米国で使われる体積の単位です。リットルに換算して比較することもできますが、元になるガロン数の扱いが違えば、換算後の数字も変わります。細かなリットル数より、大量の燃料を積むために機体全体を設計し直したという点を押さえるほうが、この飛行機の姿を理解しやすいでしょう。

燃料を優先する考え方は、乗員数にも表れています。乗るのはリンドバーグ一人。二人目の乗員とその装備を載せない分、機体の重さを抑えられます。その一方、操縦を交代する相手はいません。飛行機を軽くするという機体側の利点と、一人で長時間飛ぶという人間側の負担は、表裏一体でした。

また、エンジンだけが動けば長距離飛行を達成できるわけでもありません。出発時に重い機体を離陸させ、飛行中は天候に応じて経路を変え、残りの燃料を考えながら目的地へ向かう必要があります。燃料タンクは単なる容器ではなく、この飛行計画の成否を左右する中心的な設備だったのです。

正面に窓がない理由と前方の見方

スピリット・オブ・セントルイス号の写真を見て、「操縦席の正面に窓が見当たらない」と気付く人は多いかなと思います。現代の旅客機には大きな前方窓が並んでいますから、最初は驚きますよね。ボクも初めて知ったときは、離陸や着陸で前をどう確認したのか気になりました。

正面を見通せない理由は、操縦席の前方に燃料タンクを置いたことです。大西洋を無着陸で渡るためには多くの燃料が必要で、通常なら前方の窓がある位置も燃料を積む設計に使われました。窓を付け忘れたわけでも、操縦者が前方を見る必要はないと考えたわけでもありません。

そこで、左側には前方確認用の潜望鏡を備えました。潜望鏡というと潜水艦を思い浮かべるかもしれませんが、ここでは正面の様子を間接的に見るための装置です。加えて、機体を傾けて側窓から前を見る方法もありました。操縦席から見える方向と、飛行機が進む方向とのずれを、こうした方法で補っていたのです。

とはいえ、潜望鏡があれば普通の前方窓と同じ広い視界を得られる、という意味ではありません。確認できる範囲は限られますし、側窓から見るには機体の向きや姿勢も関わります。前方を直接見通せないことは、この機体の明確な特徴であり、操縦上の制約でもありました。

「海の上なら前に障害物がないから平気だった」と単純に考えるのも違います。出発と到着には飛行場を使いますし、飛行中も周囲の状況を確認する必要があります。リンドバーグは、前方視界の制約を理解したうえで、燃料を確保する設計を選びました。正面に窓がない姿は、無着陸でパリまで届くことを優先した結果だったのです。

機体を横から見ると、操縦席が後方にあり、その前に燃料を積む配置が分かりやすいです。写真を見る際は、機首のエンジン、広い主翼、操縦席の位置を順番に追うと、外観と飛行の目的がつながって見えます。

この飛行機には、現在の旅客機なら当然あるものがない一方、目的に合わせた装備があります。だからこそ、単に「変わった形の古い飛行機」と片付けるのはもったいないところです。燃料、視界、重心という条件を一緒に考えると、機体の独特な顔つきに理由が見えてきます。

正面窓のない機首と操縦席の側窓を横から見た、長距離飛行用プロペラ機のイメージ
ボクのヒコーキ・イメージ画像

リンドバーグの飛行機が成し遂げた大西洋横断

機体の特徴が分かったところで、1927年の飛行そのものをたどりましょう。どこを出発して、どれほど飛び、何を初めて成し遂げたのか。飛行中の天候や眠気、その後の機体の行方まで見ていくと、スピリット・オブ・セントルイス号の歴史がつながります。

  • 飛行した日付とニューヨークからパリまでの経路
  • 33時間30分の飛行と世界初の記録
  • 悪天候と眠気にどう対処したか
  • 横断後の飛行と現在の実機展示
  • 来日した際のシリウス号との違い
  • 【まとめ】リンドバーグの飛行機とその偉業

飛行した日付とニューヨークからパリまでの経路

リンドバーグが大西洋横断へ出発したのは、1927年5月20日です。出発地はニューヨーク州ロングアイランドのルーズベルト飛行場。目的地はフランスのパリ郊外にあるル・ブルジェ飛行場でした。翌21日にパリへ到着しています。

出発時刻は午前7時52分とされています。前日までの雨で飛行場の状態は悪く、燃料を多く積んだ機体は重い状態です。滑走して十分な速さに達し、地面を離れる最初の段階から、リンドバーグと機体には大きな負担がかかりました。大西洋上だけが挑戦の場だったわけではないんですね。

離陸後は北米東岸を進み、ニューファンドランド付近から大西洋へ向かいました。そこからは、長い海上飛行です。海を越えた後はアイルランド方面からヨーロッパに入り、最後にパリへ向かっています。予定した経路を図に引くことはできますが、実際の飛行では天候を避けるために進路を調整した場面もありました。

ル・ブルジェ飛行場に着いたのは5月21日。飛行時間は33時間30分、距離は約3,610マイル、キロメートルでは約5,810kmとされています。資料によって距離のまとめ方が違うため、数km単位まで同一の値になるとは限りません。なので、ここで示した換算値は一般的な目安です。

飛行の区間は、ニューヨーク近郊のルーズベルト飛行場から、パリ郊外のル・ブルジェ飛行場まで。途中で着陸して燃料を補給することなく、一度の飛行で到達しました。

無着陸という言葉は、ただ「長く飛んだ」という以上の意味を持ちます。途中で機体を点検することも、天候が落ち着くまで飛行場で待つこともできません。離陸後は、その時点で積んだ燃料と装備を頼りに進み続ける必要があります。

地図上ではニューヨークとパリを一本の線で結べます。でも、当時の操縦席から見れば、行く先の大部分には海が広がるだけ。現在位置を確かめ、燃料と天候を考え、ヨーロッパの陸地にたどり着くまで、飛行は終わりませんでした。33時間30分という数字を、機体に乗っていた一人の時間として想像すると、その長さを感じます。

夜明けの草地の飛行場から離陸する、1920年代の銀色の高翼単葉機のイメージ
ボクのヒコーキ・イメージ画像

33時間30分の飛行と世界初の記録

リンドバーグの飛行を紹介する際、特に間違えやすいのが「世界初」という言葉です。彼が達成したのは、一人で、途中に着陸せず、大西洋を横断した初の飛行でした。ニューヨーク―パリ間を無着陸でつなぎ、オルテグ賞も獲得しています。

一方で、リンドバーグより前にも、大西洋を飛行機で渡った人たちはいました。なので、単独だったか、無着陸だったか、どの区間を飛んだかで記録を分ける必要があります。ここを整理しないまま「最初に大西洋を横断した人」と書くと、史実とずれてしまうからです。

年飛行記録の内容着陸・搭乗者の違い
1919年米海軍の飛行艇NC-4飛行機で大西洋を横断途中で着水し、複数区間に分けて飛行
1919年ジョン・アルコックとアーサー・ブラウン初の無着陸大西洋横断搭乗者は2人
1927年チャールズ・リンドバーグ初の単独・無着陸大西洋横断搭乗者は1人で、途中の着陸なし

NC-4は海面に着水できる飛行艇で、途中で降りながら大西洋を渡りました。アルコックとブラウンは二人で無着陸横断を達成しています。そしてリンドバーグは、単独と無着陸の両方を満たしたわけです。どの記録も別々の挑戦であり、後の記録が前の記録をなかったことにするわけではありません。

飛行艇が水面を利用できる仕組みと、リンドバーグの陸上機の違いが気になったら、飛行艇と飛行機の構造や用途の違いも読んでみてください。NC-4がどんな種類の機体だったのか、形から理解しやすくなるかなと思います。

オルテグ賞は、ニューヨーク―パリ間の無着陸飛行に対して設けられた賞です。リンドバーグが得た賞金は、当時の2万5,000ドルでした。この金額は1927年の賞金額で、現在の購買力や日本円に、そのまま置き換えられるものではありません。数字の大きさだけでなく、具体的にどの飛行を対象にした賞だったかも押さえておきたいところです。

「大西洋横断に成功した」という短い説明の中にも、着水の有無、乗員数、出発地と到着地といった条件があります。リンドバーグの偉業は世界で初めて大西洋を見たことではなく、一人で無着陸の横断をやり遂げたことにあるのです。この言い方なら、先行した飛行家たちの功績とも正確に区別できます。

悪天候と眠気にどう対処したか

33時間30分の飛行中、リンドバーグは操縦するだけでなく、どこを飛んでいるかを自分で考え続けなければなりませんでした。現在なら位置を画面で確認できる場面もありますが、1927年には現代のGPSはありません。スピリット・オブ・セントルイス号には、無線機や六分儀も搭載していませんでした。

頼りにしたのは、時計やコンパス、飛行時間、速度、風向きなどから位置を見積もる推測航法です。たとえば、ある方角へ数時間飛んだとしても、横から風を受ければ、機体は予想した線から流されます。自分ではまっすぐ飛んでいるつもりでも、地図上の位置まで同じように進むとは限らないんですね。

陸の上なら海岸線や町などを手掛かりにできる場面があります。しかし、大西洋の真ん中では、分かりやすい地上の目印がありません。雲や霧で周囲が見えにくくなれば、さらに厳しくなります。目的地に着くためには、機体の進む方角だけでなく、風の影響や予定した経路からのずれを考える必要がありました。

飛行中には悪天候に遭い、機体への着氷を避けるため、予定した経路より南へ回る場面もありました。着氷は翼などの状態に影響します。一方で、迂回すれば飛ぶ距離が増え、燃料も余計に使います。安全に飛び続けるための判断が、燃料の余裕を減らす可能性も。長距離飛行の難しさは、こうした判断の積み重ねにもあるのです。

悪天候の対策としては、雲の上や下へ高度を変えることや、視界を確保できる条件を探して飛ぶことが中心でした。
当時は今ほど計器や気象支援が充実していなかったため、機体の状態と空の様子を見ながら、かなり慎重に判断していたと考えられます。

そして、もう一つ大きかったのが眠気です。リンドバーグは出発前にも十分に眠れていませんでした。それでも、飛び始めたら交代する操縦者はいません。一人乗りを選んだことで機体を軽くできた反面、疲れや眠気を自分一人で受け止めることになりました。

眠気には、冷たい空気を入れる、顔や体に刺激を与える、集中を切らさないよう自分を保つといった方法で耐えたと広く知られています。約33時間半に及ぶ飛行だったため、眠気そのものをなくすというより、目を覚まし続ける工夫で乗り切ったという理解が近いです。

操縦席から真正面を直接見られず、位置も自分で推定し、悪天候を避けながら飛ぶ。その状況で眠気に襲われることを想像すると、33時間30分という数字の印象が変わりませんか。ボクはこの記録を読むたび、機体の性能と同じくらい、一人で判断を続けたことに圧倒されます。

無着陸飛行は、燃料が足りれば成功するわけではありません。機体とエンジンを保ち、天候に合わせて進路を判断し、自分の位置を見積もり、目的地まで操縦を続ける必要があります。その役割をたった一人で担ったことに大きな意味があるのです。

もちろん、当時の操縦方法を現在の飛行へそのまま当てはめることはできません。航空機も航法装置も大きく変わりました。ここでは、1927年に利用できた装備と当時の飛行条件の中で、何が難しかったのかを理解することが大切かなと思います。

雲の広がる大西洋上を一機で飛ぶ、リンドバーグの長距離飛行を想起させるプロペラ機のイメージ
ボクのヒコーキ・イメージ画像

横断後の飛行と現在の実機展示

パリへの到着で世界的に有名になった後も、スピリット・オブ・セントルイス号の飛行は続きました。リンドバーグは同じ機体で米国内を巡り、中南米などへも飛んでいます。大西洋横断だけに使われて、そのまま姿を消した飛行機ではありません。

横断後の飛行には、航空への関心が高まる中で、人々がリンドバーグと機体を実際に目にする機会をつくる意味もありました。

飛行機の歴史を写真で振り返ると、パリ到着の場面が中心になりがちです。でも、この機体には成功後の飛行歴もあります。その歩みを正確に見るためには、機体を一度の記録だけで捉えないほうがいいでしょう。

1928年4月30日の飛行が、スピリット・オブ・セントルイス号の最後の飛行となりました。その後、実機はスミソニアンへ引き渡されています。大西洋上で行方不明になったわけでも、パリに置き去りになったわけでもありません。

現在、この機体は米ワシントンD.C.のスミソニアン国立航空宇宙博物館に所蔵・展示されています。歴史上の有名な飛行機は、実機が現存するのか、複製機だけが残っているのか、分かりにくいこともあります。この機体は、1927年にリンドバーグ自身が操縦した実機です。

国立航空宇宙博物館で展示されるスピリット・オブ・セントルイス号
国立航空宇宙博物館で展示されるスピリット・オブ・セントルイス号:Wikipediaより引用

一方、スピリット・オブ・セントルイス号の姿を再現した複製機も造られました。写真や別の施設で似た飛行機を見つけても、それが必ず大西洋を渡った機体とは限りません。展示の説明で「実機」か「複製機」かを確認すると、目の前の飛行機の来歴が分かります。外見が似ていることと、同じ一機であることは別なんですね。

また、1957年の映画『翼よ!あれが巴里の灯だ』は、リンドバーグの飛行を題材にした映画のタイトルです。ジェームズ・スチュワートがリンドバーグを演じました。題名の印象が強いため、「翼よ、あれがパリの灯だ」を機体の名前と覚えてしまうこともあるかもしれません。飛行機の名前はスピリット・オブ・セントルイス号です。

博物館の展示場所や公開状況は変更される場合があります。実機を見に行く予定を立てる際は、正確な情報は公式サイトをご確認ください。展示機の来歴や仕様を専門的な目的で判断する必要がある場合は、最終的な判断は専門家へのご相談をお願いします。

博物館で機体を見るなら、まず広い主翼と小さな胴体の組み合わせに注目したいところです。その後、操縦席の位置と正面の窓がない部分を見ると、飛行中にどこへ燃料を積んでいたのかが想像しやすくなります。展示された飛行機を、記録を残した一機として眺める時間も楽しそうですね。

来日した際のシリウス号との違い

「リンドバーグの飛行機が日本に来た」という話を聞くと、1927年に大西洋を渡ったスピリット・オブ・セントルイス号が、そのまま日本へ飛んできたと思うかもしれません。ここは、はっきり分けたいところです。1931年にリンドバーグ夫妻が来日した際の機体は、ロッキード・シリウス号でした。

来日したのはチャールズ・リンドバーグと妻のアンです。夫妻は北太平洋方面を飛ぶ旅で、アラスカ、アリューシャン群島、千島列島を経て日本へ入りました。日本では根室、霞ヶ浦のほか、大阪や福岡にも立ち寄っています。

日本に到着した時期まで見ると、1931年8月24日に根室へ、同26日に霞ヶ浦へ到着した記録があります。こうした来日の経路と日付は、アジア歴史資料センター「リンドバーグ来日 ~その足どりを追って~」でも確認できます。

シリウス号は、水上での離着水に対応する装備を備えた機体でした。これに対し、1927年のスピリット・オブ・セントルイス号は、ニューヨークの飛行場から離陸してパリの飛行場へ着陸した陸上機です。同じリンドバーグが操縦した飛行機でも、飛行の目的や使われ方が違います。

比べる点1927年の大西洋横断1931年の来日
機体ライアンNYP、スピリット・オブ・セントルイス号ロッキード・シリウス号
搭乗者チャールズ・リンドバーグ一人リンドバーグと妻アン
主な経路ニューヨーク近郊からパリ北太平洋方面を経て日本へ
飛行の特徴単独・無着陸の大西洋横断夫妻による別の長距離飛行

特に混同しやすいのは、妻アンの存在です。アンと一緒に飛んだ来日の話と、チャールズが一人で達成した大西洋横断は別の出来事。「リンドバーグ夫妻がスピリット・オブ・セントルイス号で大西洋を横断した」という説明にはなりません。

飛んだ年、機体の名前、同乗者、経路。この四つを並べるだけでも、二つの飛行を整理できます。大西洋横断は1927年のスピリット・オブ・セントルイス号、来日は1931年のシリウス号です。リンドバーグの名前で複数の飛行機が紹介されても、これなら迷わず読み分けられるかなと思います。

日本の湖畔で水上機を見守る欧米系の男女を描いた、1931年のシリウス号来日のイメージ
ボクのヒコーキ・イメージ画像

【まとめ】リンドバーグの飛行機とその偉業

リンドバーグが1927年の大西洋横断で操縦した飛行機は、ライアンNYP、スピリット・オブ・セントルイス号です。セントルイスという名前は計画を支えた人々との結び付きを表し、歴史的な飛行そのものはニューヨーク近郊からパリへ向かいました。

機体は一人乗りの単発プロペラ機です。多くの燃料を積むために翼や胴体を変更し、操縦席の前方には燃料タンクを配置しました。その結果、通常の正面窓はなく、前方確認には潜望鏡や側窓を使っています。独特な形には、大西洋を無着陸で渡るための理由がありました。

1927年5月20日にルーズベルト飛行場を離陸し、翌21日にパリ郊外のル・ブルジェ飛行場へ到着。飛行時間は33時間30分、距離は約5,810kmです。リンドバーグが成し遂げた世界初の記録は、単独・無着陸の大西洋横断でした。大西洋横断そのものにも、無着陸横断にも、それぞれ先行した飛行があります。

実機は横断後も飛行し、現在はスミソニアン国立航空宇宙博物館に所蔵されています。そして1931年にリンドバーグ夫妻が日本へ乗ってきたのは、別のロッキード・シリウス号です。機体と出来事を一つずつ分けてみると、リンドバーグの記録がどこにあるのか、さらにはっきり見えてきますよ。

最後までお読みいただきありがとうございました。

リンドバーグの飛行機に関するよくある質問

リンドバーグが大西洋横断に使った飛行機の名前は?

機体の名前は「スピリット・オブ・セントルイス号」、機種名は「ライアンNYP」です。どちらも1927年にリンドバーグが単独で大西洋を横断した同じ飛行機を指します。

スピリット・オブ・セントルイス号の名前の由来は?

大西洋横断計画を支援した、米国ミズーリ州セントルイスの人々とのつながりに由来します。横断飛行の出発地はセントルイスではなく、ニューヨーク州ロングアイランドのルーズベルト飛行場です。

ライアンNYPの「NYP」は何を意味しますか?

ニューヨークとパリを意味します。両都市の間を無着陸で飛ぶという、機体が造られた目的を表す機種名です。

スピリット・オブ・セントルイス号はどんな飛行機ですか?

一人乗りで、主翼が胴体の上側に付いた単発のプロペラ機です。翼幅は約14.02m、全長は約8.43m。機首にはライトJ-5Cホワールウィンドという星形エンジンを1基搭載していました。

燃料は何ガロン積んでいたのですか?

資料には425米ガロンと450米ガロンの両方の数字が見られます。設計上の容量や追加分を含む量など、何を示す数値かを確認せずに同じ条件の搭載量として扱うことはできません。機体は無着陸飛行に必要な大量の燃料を積めるよう設計されました。

操縦席の正面に窓がないのはなぜですか?

長距離飛行に必要な燃料タンクを操縦席の前方に配置したためです。リンドバーグは左側に備えた潜望鏡で前方を確認し、機体を傾けて側窓から見ることもありました。

ニューヨークからパリまで何時間かかりましたか?

1927年5月20日にニューヨーク近郊を出発し、翌21日にパリ郊外へ到着しました。途中で着陸せず、飛行時間は33時間30分、距離は約5,810kmです。

リンドバーグは世界で初めて大西洋を横断したのですか?

大西洋横断そのものは世界初ではありません。リンドバーグが初めて達成したのは、一人で途中に着陸せず大西洋を横断する飛行です。それ以前にも、着水を挟む横断や、二人乗りでの無着陸横断が成功していました。

スピリット・オブ・セントルイス号の実機は現在どこにありますか?

米ワシントンD.C.のスミソニアン国立航空宇宙博物館に所蔵・展示されています。1927年の横断でリンドバーグ自身が操縦した実機です。見学を予定している場合は、展示場所と公開状況を博物館の公式サイトで確認してください。

1931年にリンドバーグ夫妻が日本へ乗ってきた飛行機も同じですか?

別の飛行機です。1927年の大西洋横断にはスピリット・オブ・セントルイス号を使い、1931年には妻のアンとともにロッキード・シリウス号で来日しました。

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